平成27年(2015年)10月のことば ~人生そのものの問い~

弥陀の誓願は 無明長夜の おおきなる ともしびなり

弥陀の誓願は 無明長夜の おおきなる ともしびなり

多忙な日々が続き、更新が滞っていました。6月7月8月9月のことばはお休みさせていただきました・・・^^;
三日坊主ならぬ一ヶ月坊主になりそうでしたので、今月から更新して参ります。

高井寺のホームページを見た、と色々な方から人生相談(無料)の電話がかかってきます。
「話し相手になってほしい」という比較的ライトな!?方から「死にたい・・・」という切実な方まで・・・。

 

私達の人生は、不安や苦しみをかかえながら、長く真っ暗な闇の中を手探りで歩いているようなものです。
どこに向かって歩けばいいのか・・・?
迷いながら歩いているようなものです。

その闇を「ともしび」で照らしてくれるのが、
その闇の中に進むべき道を指し示してくれるのが、

信仰(しんこう)

だと思います。

闇の中で歩むべき方向がわからなくなっているのであれば、
「信仰」に出遇うべきだと思います。
「信仰」を求めるべきだと思います。

 

 

「人生そのものの問い」

日々の暮らしのなかで、人間関係に疲れたとき、
自分や家族が大きな病気になったとき、
身近な方々が亡くなった時、

「人生そのものの問い」が起こる。
「いったい何のために生きているのか」
「死んだらどうなるのか」。

この問いには、人間の知識は答えを示せず、
積み上げてきた経験も役には立たない。

目の前に人生の深い闇が口を開け、不安のなかでたじろぐ時、

阿弥陀如来の願いが聞こえてくる。

親鸞聖人は仰せになる。

弥陀の誓願は無明長夜の おほきなる ともしびなり

「必ずあなたを救いとる」という如来の本願は、
煩悩の闇に惑う人生の大いなる灯火となる。

この灯火をたよりとするとき、

「何のために生きているのか」
「死んだらどうなるのか」

この問いに確かな答えが与えられる。

(拝読 浄土真宗のみ教え)

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平成27年(2015年)10月のことば ~人生そのものの問い~” への2件のコメント

  1. 浄土真宗、浄土宗は『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』に拠るもので阿弥陀仏の本願に基づき観仏や念仏によって穢土であるこの娑婆世界を去って阿弥陀仏の極楽浄 土に往生しようと願う教えですよね?お釈迦様は『無量義経』に「四十余年には未だ真実を顕さず」と説き『法華経』に「正直に方便を捨てて但 無上道を説く」と説かれ四十余年に渡って説いた諸々の経は全て法華経を説く為の仮の教えであり法華経こそが真実の教えであると説いてますよ。浄土真宗、浄土宗の所依の経典はこの四十余年に説かれた仮の教えであり未顕真実の教えで。しかも唯一真実教である法華経を「千中無一」「捨閉閣抛」と言っては誹謗する法然や親鸞、念仏はお釈迦様の教えに背いてますよ。この念仏を信仰する事 は無間地獄の闇へ堕ちます!『無量寿経』に「西方浄土の阿弥陀仏が念仏を称える者を救う」と説かれているがまだその後に続きがあり「唯五逆と誹謗正法とを除く」と言われ、要するに阿弥陀仏は「正法である法華経を誹謗する者は救えない」と言ってるのですよ あなた方は本尊と仰ぐ阿弥陀仏に背いている事を知るべきです。本尊とする阿弥陀仏はお釈迦様の経典に出てくる仮の架空の仏であり実際にこの世に出て衆生を教化した事などありません。また阿弥陀仏の本願力によって臨終の後、西方極楽浄土に往生すると言うが現実の世界を穢土だと言っては嫌う厭世思想や現実逃避の思想を生み出す事になります。しかも現実に苦悩してる人々を今世で救えないのでは真実の教えとは言えない。更に念仏の僧侶である善導は西に向かって極楽往生を願い柳の木から身投げ自殺をしたが固い土の上に落ち腰の骨を折り七日七夜に苦しみ死んだという事実がある。これこそがまさに正法である法華経を誹謗した罰の姿です。この正しい法華経を広めて下さり末法のこの世を救って下さるのは日蓮様の日蓮正宗 法華講の信心しかないのですよ!あなたが単なる金儲けではなく世の中の平和を祈るなら日蓮正宗 法華講の寺へ訪ねて改宗されなさい。南無妙法蓮華経

    • コメントありがとうございます。

      浄土真宗においては、浄土という来世を説いているようで、まぎれもなく今生(こんじょう)の救いを説いているんです。
      すでに救われていることに気付く宗派とでも言うんでしょうか・・・。

      お会式、ようこそのお参りでございました。

      それぞれの道、お互い邁進しましょう^^

      合掌

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