3、賢者?愚者?

浄土真宗の教えは「他力」です。つまり「自力無功」。
これは「往生のために自らの力は何ら役にたたないこと」を意味します。

「他力」の教えは、親鸞聖人が到達した結果であり結論ですが、そこに至るまでの比叡山の20年間の修行は「自力」でした。

親鸞聖人の考える「自力」とはどういうものだったのか?
中央仏教学院長「白川晴顕(しらかわはるあき)」先生が書かれた『親鸞聖人と超常識の教え(永田文昌堂)』から引用させていただきます。

(略)一般的に自力といえば、往生のために自らの力を励み努力することのように思われがちですが、決してそうではありません。
(略)
自力とはわが身や励んで得た善根功徳をあてにし、たよりとして、それを往生のために役立たせようと「はからうこころであることになります。

(略)
自力と他力は対立するものではなく、他力は自力を包摂(ほうせつ)する立場にあり、他力(阿弥陀如来の大悲)のはたらく場が自力の世界であることを示すものです
二十年間の比叡山時代は、聖人にとって真実が得られないという苦悶の中で、挫折や絶望を抱かずにはおられなかった世界です。
そして自らをあてにして「はからいのこころ」をもって励む自力の限界を身をもって知らされた世界であったともいえます。
このことと、私たち人生の中で思いがけない不幸に出逢ったり大きな壁にぶち当たったりして、さまざまな苦難を体験し、それによって挫折や絶望を味わうこととは異質なものではないように思えます。

普段私たちは、自分の知識や理性、常識に照らして、ものごとの価値判断をしていきます。
要は、自分の考える事は正しいと、自分をあてにして生きているわけです。

仏教では、その「自分の考える事は正しいと思ってしまう自分のこころ」を煩悩と言っています。仏教でさとりをひらくという事は、「ものごとをありのままにみること」、
浄土真宗的に言えば、「阿弥陀さまと同じものの見方」ができるようになることです。

親鸞聖人は、私たちに「阿弥陀さまと同じものの見方をしろ」とは一言も言われておりません。ただ、「阿弥陀さまと同じものの見方ができない」愚かな私であると気付かされることの大切さを教えてくださっています。自分の知識、理性、常識がいかにあてにならないか、気付くことの大切さを教えてくださっています。

お釈迦様は、自らの愚かさを嘆いて教団を去ろうとしたお弟子(周利槃特)に、こう言われたそうです。※後にこのお弟子さんは”さとり”をひらかれたそうです。

自分の愚かさを知る者こそが、智慧あるものなんだ。
自分の愚かさに目を向けず、自分が賢いと思う者こそを愚者と言う。
おまえは自分が愚かだと、すでに知っているじゃないか。

そして親鸞聖人は、晩年(88歳頃)、『正像末和讃』にこう書き足されております。

よしあしの文字をもしらぬひとはみな まことのこころなりけるを
善悪の字しりがほは おおそらごとのかたちなり
『正像末和讃 自然法爾章 注釈版622頁』
(意訳)
物事に善悪の価値判断ができない人は、真実のこころを持ち、
あたかも善悪を知っているかのような素振りをする人は、嘘・偽りの姿にすぎない

私が生きていく上でせざるを得ない価値判断の基準は、煩悩にまみれた私自身です。
私自身にとって都合の良い見方で判断しているにすぎません。

阿弥陀さまの真実のものの見方が知らされて行く中に、それまで正しいと思っていた物の見方の間違いに気付かされていく。
そういう「気付き」の積みかさねの日暮らしの中で、「信心」、すなわち

自分の中に往生するために役立つもの、あてになるものが何一つないと知らされ(機)
また阿弥陀さまの本願のはたらきにすべてをまかせるしかない。(法)
(二種深信)

という”こころ”がいただけるんじゃないかな、と、そんな風に思う今日この頃です・・・。

最後に白川先生のご法話を紹介させていただきます。
(続く)

  1. 浄土は苦しみの無い世界?
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6 thoughts on “3、賢者?愚者?

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  4. 私は、今、尊厳死協会に入会しています。
    仏教の教えから言うと、自分の命(生)は自分で決められるものでは無いと言われている様に感じます。しかし、人間はいずれ死ぬものです。
    今は医学が進歩したから(?)、ほんの少しでも生きられるような患者でも最後まで治療を続けます。チューブだらけ、人工呼吸器、脳死臓器移植等、私はそのような医療で少々長生きしたところで、幸せとは、とても思えません。
    私の考えは、仏教上からは受け入れられ無いものなのでしょうか?

  5. コメントありがとうございます。
    まず、私は今年38歳になる、僧侶3年目の若造であることを念頭において頂いた上で、”私個人的な”、”今日時点での考え”をコメントします。

    まず「尊厳死」という言葉を、「一般社団法人 日本尊厳死協会」ホームページの理事長のあいさつ文から引用させて頂き定義したいと思います。

    尊厳死とは、不治かつ末期の病態になった時、自分の意思により無意味な延命措置を中止し、人間としての尊厳を保ちながら死を迎えることです。
    尊厳死は自然死や満足死と同義で、積極的な方法で死期を早める安楽死とは根本的に異なります。

    ここでいう「尊厳死」を上記の様に定義させて頂きます。
    理事長の言うとおり「安楽死」の意味を含みません。
    ※http://www.songenshi-kyokai.com/rijityo-aisatsu.html

    「尊厳死」については僕個人的には賛成です。
    僕も人の死は尊厳あるものでなければならないと思います。

    「いかに死ぬか?」の問いは「いかに生きるか?」の問いでもあります。

    理事長のことばの
    「人間としての尊厳を保ちながら死を迎えること」
    を言い換えれば、
    「死ぬまで人間としての尊厳を保ちながら生きていくこと」
    と同義だと思います。
    要は「生き方」の問題とも言えると思います。
    「生き方」は人それぞれ違って良いと思います。

    「延命の治療をうけるのも自由」
    「ありのままをうけいれて治療をうけないのも自由」
    人それぞれだと思います。
    そして生き方を決めるのは他ならぬ私自身です。

    仏教はその生き方を決める私自身のこころの弱さに気づき、生きる智慧を身につけていく教えです。

    (※長くなりましたので続きにします。)

  6. >仏教の教えから言うと、自分の命(生)は自分で決められるものでは無い
    >と言われている様に感じます。しかし、人間はいずれ死ぬものです。

    自分の命は自分で決められるものではないはずです。”だから”、「もっと生きたい」と願ったところで、縁が尽きれば必ず死にます。それは明日かもしれません。そもそも自分は自分自身で決めて生まれてきた訳ではないと思います。
    そして「命」の問題と「生き方」(=死に方)の問題は別なような気がします。
    「命」は自分で決められるものではありませんが、
    「生き方」(=死に方)は自分で決めるべきものだと思います。

    >今は医学が進歩したから(?)、ほんの少しでも生きられるような患者でも
    >最後まで治療を続けます。
    >チューブだらけ、人工呼吸器、脳死臓器移植等、
    >私はそのような医療で少々長生きしたところで、幸せとは、
    >とても思えません。

    僕もそう思います。ただ何をもって、意味がある延命措置なのか、無意味な延命措置なのか、を判断するのは煩悩まみれの僕自身です。
    延命を望むのか、望まないのか、実際にこればっかりは僕自身が、不治かつ末期の病態になった時でないと想像出来ません。
    そしてこれはやはり僕自身で決めるべきものであり、
    医者ないし、家族、第三者が決めるべきではないことだと思います。

    >私の考えは、仏教上からは受け入れられ無いものなのでしょうか?

    tom-jさんの考えはtom-jさんの考えであって、それを僕がどうこう判断することはできません。すみません。
    ただ、仏教は、その考えは受け入れられないからそういう考えはだめだよ、こう考えなさい(洗脳?)という発想はありません。
    お釈迦様の言葉、仏さまの真実のものの見方(智慧)を聴く事で、各自が気付いていく、目覚めていく教えです。

    仏教では「生」と「死」を別のものとみなしません。
    仏の智慧の眼(さとりの眼)で「生死(しょうじ)」をみれば、「生」と「死」どちらも同じ価値です。
    つまり「死」をむなしい、無意味なこととはみなしません。

    自分の「死」に「意味を見いだすこと」それが仏教の智慧を学ぶことだと思います。
    そしてそれは同時に、
    自分の「生」つまり自分の人生に「意味を見いだすこと」につながることだと思います。

    このようなことを考える機会を下さったことに感謝します。
    長文失礼しました。

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