本音と建て前

相田みつをさんの「セトモノ」という有名な詩があります。

セトモノと セトモノと
ぶつかりっこすると すぐこわれちゃう
どっちか やわらかければ だいじょうぶ
やわらかいこころを もちましょう

そういうわたしは いつもセトモノ

僕も好きな詩です。
最後の「そういうわたしは いつもセトモノ」という箇所で救われるような気がします。

普段生きていく上で、僕は意識しようがしまいが、
「本音と建て前」を使い分けながら生活しています。

やわらかいこころを もちましょう!

僕にとっての「道徳」だったりします。
僕にとっての「建前」とも言えるんじゃないかと思います。

じゃあ僕の「本音」は?

やわらかいこころをなかなか持てない僕がいます。
条件がそろわないと、やわらかいこころを持てない僕がいたりします。

むしろ、
「僕がこんなに”やわらかいこころ”を持とうとしているのに、
あなたはなんでそんなに”セトモノ”のままなんだ!」
「あなたもやわらかいこころを持て!」
と激怒してしまいそうな僕がいたりします。

認めたく・公開したくはありませんが、僕の「本音」です。
いや、本当の僕の「本音」は、きっとブログで公開するなんて出来ないと思います。(笑)
※(無意識に)公開しても問題無い情報だと、僕自身で取捨選択しているんだと思います。

そして、その僕の「本音」を見つめていくのが仏教だと思います。

そして、その自分の「本音」をとことん見つめていったのが、親鸞聖人であり、
自分の「本音」を知らされた先にあったのが「他力」の教えだったんだと思います。

社会生活を送る上で「本音と建て前」の使い分けは必須のスキルです。

でも、うまく言えないのですが、いつの間にか、「本音」が「建前」に支配されている、というか、
「建前」にとらわれすぎて、「本音」が自分でもわからなくなっている僕がいたりします。

僕の「本音」は、ドス黒く・汚く・卑猥なものだったりします。
とてもじゃありませんが、ブログで書いたり出来ません。

『「本音」を見つめること』
言葉では簡単ですが、以外と勇気?が必要な気がする、今日この頃だったりします。

 


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